とりざらとりばし

タイトルは呪文ではなくて、飲食の際に使用する「取り皿・取り箸」である。

 

例の感染症の流行により、取り皿取り箸文化が根付いてきたのはありがたいなあと思う。取り皿はまだしも、取り箸はお店の人にお願いするのが忍びなかった。もちろん感染症なんか蔓延してほしくなかったし終息してほしいけど。わたしは疲労してくると口唇ヘルペスがじゅくじゅくと疼いてしまい、誰かと飲食する際に説明するのが結構辛かったのだ。正確には現状を説明して「大丈夫だよー」って言われるのが一番辛い。神経質と言われることもあって、心が折れてしまうこともあった。いや、百歩譲ってわたしはええねんけどな!?(よくない)

 

感染症の対策は文化や価値観の衝突だなあと思ってしまう。病院に勤務していたときは、答えは明確でゾーニングだってやりやすかった。こちらが主導で感染症対策を行えるわけだ。日常生活の対策はそうはいかない。様々な立場や環境に置かれている人々がそれぞれの大切なものと天秤にかけないといけない。ずっと我慢し続けるの辛いよねと思う。自分は資格を取って働いている以上、ある意味呪いみたいなものだから仕方ないと思っているところはあるけれど、前の生活に戻りたいと思わないと言ったら嘘になる。病気の関係で人との交流を忌避してしまうから新しい生活様式のメリットが合致したところもある。

 

話は戻って。

個人経営の飲食店でアルバイトしていたこともあって、客の立場といえど洗い物はなるべく増やしたくないなあと思うけれど、取り皿取り箸文化は残ってくれないかなと思ってしまうのだ。それが言いたかっただけ。小心者のわたしより。