なまるがよろし

思えば、子どもの頃から引っ越しばかりだった。出身は岩手県。北海道には敵わないけど、それに次ぐ第2位の面積もある。四国と同じくらい。でかい。でかすぎる。自然の豊かさや文化は好きなのだけれど、子どもの力では岩手県を出れないなと感じていた。県境は壁のように感じていた。イエ、土地を継ぐことへのプレッシャーや男尊女卑の価値観は未だに根強い。文化施設や教育施設へのアクセスは遠い。今はインターネットがあるじゃん、というけれど。土地の巨大さは物理的にどこかへ行くハードルを高跳びくらいまで上げていた。もう競技が違うのだ。特に北東北は顕著じゃないかと思う。

 


今現在、わたしは関東住まいだ。岩手から出た理由は就職の選択肢がないというのも大きいが、大学が至る所にあったりミュージアムにはふらっと立ち寄れる、映画館も至る所にあるというメリットが大きすぎるのだ。

 


前述した通り、岩手県は大きすぎるので訛りに多少違いがある。岩手県あるあるネタとして、南部藩伊達藩いじりがある。どうやら我が県では廃藩置県がまだ終わってないのかもしれない。訛り、というのはその土地のコミュニティを表すものでもあり、表明しやすい個人情報だと思っている。

 


県内を転校していたせいか、親が南部藩伊達藩地域出身のせいか、わたしはあらゆる訛りがミックスされているらしい。同郷の友人知人に訛っていると何度言われたことか。

 


そんなミックス訛りを習得しているものの、地元では年代的にバリバリと話すわけではない。上の年代の人と話すときにつられるくらい。

 


東京は地方出身者が集まる。そんな中で、ミックス訛りを披露すると何となく相手の警戒心が緩む気がする。やはり訛りは押し付けがましくない個人情報の開示ができるのだ。言葉の向こうにあるその人の生きてきた場所、文化に触れることができる。まあ意図的に訛りを出すことでビジネス訛りではないかと思われるかもしれないが、事実そうなのだと思う。わたしは職場ではプライベートの話をしたくないので、どうしても話す側にいる時は地元のトークでその場を乗り切っている。乗り切っていないのかもしれないが、押し切っている。

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ちなみに、言葉の師匠とこっそり仰いでるのは祖母である。「なんもなんも」とか「あいや」とか、ふと出る言葉はおっとりとしていて聞いていて心地よい。今年帰省したら祖母とたくさん話をしよう。訛りを交えて。そして言葉の引き出しを増やすんだ。

 

精神科に入院した時のこと

だいぶ前になるが、精神科に入院していたことがある。とある書類を作るにあたって既往歴を書く際に思い出した。あれだけ辛かったことなのに記憶からすっぽり抜け落ちていたことにゾワッとした。

 

物心ついた頃からメランコリー的な気質は自覚していた。20歳、30歳と節目の年に死ねればいいなと思っていた。吉田兼好が40歳くらいで死ぬのが良いって書いていたことになんだか救われた。

 

若い時の両親はヒステリックに喧嘩していて、包丁やガラスが宙を待っていた。テレビに水筒があたって銃弾を受けたような傷になって心の中で笑っちゃったのを覚えている。映画で見たマフィアの世界じゃんって。マフィアの世界に生きているんだから家にいるのが辛いの当たり前じゃんって。テレビを買い替えるまでの一ヶ月、銃弾を受けたような傷を見てほっとしていた。

 

夜中喧嘩して親と外に出たり、親の喧嘩を止めようとして殴られてメガネが壊れちゃったり。大人になった私が当時の私を抱きしめたくなる。

 

メランコリー気質を育てる環境として転校が続いていたこともあるかもしれない。人の顔色を伺わなきゃいけなくて、クラスの中のパワーバランスを見なきゃいけなくて。転校生ってだけで目立つから、成績や運動神経や身長目の色髪の色まで噂された。学校ガチャってある。転校が全て悪いとは思わないけど心のフォローは必要だったのかもと思う。

 

変な大人に付き纏われたり教師にセクハラされたり。いなくなった方がよっぽど楽だと思った。その場では取り繕っていたけれど、1人の時に髪を抜いたり皮膚に爪を立てていた。過剰適応なんて言葉、当時は知らなかった。毎日微熱っぽくて吐きそうでいつも目眩がした。離人感というのだろうか。自分の輪郭と世界がぐちゃぐちゃに溶けていた。ゴッホの叫びの背景みたいな生活だった。

 

希死念慮はずっとあって、何度か実行に移して失敗した。救急外来で「こんなことしちゃだめ」って言われて「はい」と答えたけど、頭の中では「そういうしかないですよね」って諦観していた。

 

希死念慮を実行に移すごとに精度(?)は高まっていった。このくらいあれば実行できるはずという計算があった。そこからしばらく記憶がなくて、精神科の外来の処置室にいたことは覚えている。何をされたかわからないけど「吐いてません」って何度も話したことはおぼえている。2人の先生が同時に「吐いてるよ!」ってつっこんで、息があってるなあと感心したところで記憶が途切れた。

 

つぎにある記憶は病室だった。一応ナースステーションが近くて「見張られてるなあ」と他人事のように思った。最初は点滴されていたけれど、肘の内側に直針刺されているもんだから痛くて仕方なくて無理やりご飯を口に入れた。そして吐いた。ガーグルベースンという桶にご飯を入れて「吐いたけど少しは食べれました」という体裁を保った。患者としては最悪なんだけど、そうするしかなかった。薬を排出するため内服はしなかったけど離脱症状なのか大量に飲んだ影響なのか強い吐き気はしばらく残った。

 

一部素敵な看護師さんもいたけど、意地悪な人が多かったから何も相談できなかった。「吐きそうなのでガーグルベースン持ってきてください」って言っても無視されるような環境だったので相談どころではなかったというのが本音だが。

 

入院中、意識がクリアになるごとに絶望感は強まった。実行できると思っていたから、これからどうしたらいいのかわからなかった。また実行するにしても、院内では難しいとも思った。大人しくいい患者を演じた。にこにこして穏やかで、聞かれたことには「良い」受け答えをした。反面、自分の中ではドス黒いごちゃごちゃしたものが爆発しそうだった。爆発したら拘束されてしまうと思った。意地悪な看護師さんがいる所では、正当な拘束にならないだろうと思った。ただでさえ拘束は人権侵害なのに。

 

記憶はぷつりぷつり途絶えている。「良い」入院患者だったから退院できたのだけど、吐き気はしばらく続いて寝て過ごすことが多かった。記憶が曖昧だから絵画のように切り取られて頭の中に内在している。退院して一週間くらいで仕事に復帰した。長らく体調不良だったと言い訳して。職場ではニコニコしてトイレで吐いてアンバランスな状況に泣き笑いした。そこからまた記憶が溶けている。

 

希死念慮は今も続いている。当時、退院した後も彩度実行しようとは思っていた。ただ、体力が無くてすぐにはできなかった。それだけだ。そしてずるずると今に至る。

 

オチも救いもない話だ。いまの話を主治医とカウンセラー以外で対面でしたことはないし、する気もない。医療職なのに元気そうに見えるのにと、奇異の目で見られるのがわかりきってるのだから。

 

患者体験があるからこそ、拘束に対する医療者の偏見にはより強い負の感情を私は抱く。自分は拘束帯は免れたが病院というハコに囚われていた気持ちはとても強い。患者より強い立場にあるにもかかわらず、オモチャにするような医療者には嫌悪感を抱く。また、当事者かつ医療者という人はたくさんいて、私も気をつけなければいけないことだが、自虐の程度がひどいと当事者を傷つけることは覚えておきたい。当事者かつ医療者は、当たり前だが「医療者」なのだ。自分も辛い体験をしてきたとはいえ、強い立場には変わりがないのだから。f:id:miumimimi:20230327104147j:image

ムスカブースト

説明しよう。ムスカブーストとは、鬱状態から回復の兆しが見えた頃に、鬱の遅れを取り戻そうと本を読み漁る状態のことである。尚、この名称は私以外に使われてはいない。たぶん。

 

サブカルオタクなので、天空の城ラピュタムスカ大佐がラピュタ語を解読して興奮している状態になぞらえてしまう。鬱がひどい時に本を読もうとすると、文字は遊離し、虫のように空気中に這い出ていったような感覚があった。性暴力関係の本は頭に入りすぎるほどくっきり文字が目に飛び込んできた。ゴシック太字18ptくらいで、どーんどーんと頭の中を地ならししながら進んでいく。歩みを止めたいのに目が文字を追ってしまう。読み終えて知恵熱のようなものを出していた。

 

本って不思議だ。私の体はここから動いていないのに、意識はとぷんと沈んでいく。私の体は遥か遠く空の向こうにあって、意識が底に降り立ったと思い顔を上げたら作者の影が佇んでいる。その優しい影にささっとついて行く。複雑なステップを踏む作者もいれば、ついてきてるか振り返ってくれる作者もいる。その背中や足跡がとても愛おしい。

 

本を読める状態になって恍惚の表情を浮かべているんだろう、私は。眠っていた時間を取り戻すように手に取って行くけれど、ガス欠になってはいけない。お茶を一口飲んで、体の感覚を思い出す。ふうと一呼吸。そして再び意識は本の底に沈んでいくのだ。f:id:miumimimi:20230124195616j:image

あせらない難しさ

鬱が回復してくると焦らないことを意識しないといけない。できることが増えてくると、遅れを取り戻そうとしてしまうのだ。

 

鬱が悪化したこの4年間、目の前の色はグレーに見えるし輪郭もぼやけていた。それが最近、ほんの少しだけど色づいて見えたのだった。

 

4年。その4年で一体何ができただろうと考え出すと、目の奥がじんわり熱くなってくる。みんなは成長したり新しいことに挑戦しているのに、わたしはその場で足踏みをしている。ふかふかの土は氷のように硬くなってしまった。一歩を踏み出す柔軟性もなくなっている。

 

失ったものを数えた方が早いとはいうけれど、失う前の記憶が欠落しているので、やたらふわふわとしている。なるほど不安というのは対象のないものへの感情だと改めて分かった。

 

この不安を解消する術を未だ持っていない。いつか解放される時が来るのだろうか。そう願っている。f:id:miumimimi:20221120093745j:image

秋晴れとおすし

先日、数ヶ月ぶりに友達と会えた。何度も何度も体調不良でドタキャンしてしまっていて本当に久しぶりだった。

 

長い間仕事から遠ざかっている。でも、自分の分野の話を聞くと力が湧いてくる。SNSで見る「看護」という文字にはクラクラして吐きそうになるのに、信頼できる人から聞く「看護」はきらきら光って見えた。帰り道に本屋に寄って、仕事用の本をいくつか買った。

 

記憶は戻らないし集中力も持たない。急に目眩がするし道端で吐き気が襲ってくる。

 

そんな自分が前向きに仕事用の本を買えるなんて。本屋の医学のコーナー行こうとしても涙が出そうになってだめだったのに。

 

一進一退だし波もあるけど、希望を持てたのは久しぶりだなと思った。楽しい気持ちでご飯を食べたのも久しぶりだった。

 

おすし美味しかったな。また食べたいな。そう思ったところで、「また」っていう言葉が出てくる自分にもびっくりした。f:id:miumimimi:20221119175249j:image

本が読める喜び

昔から本が好きだ。ガラス窓に伝う雨のように、文字がすうっと流れていく。目を離さない美しさ。1人じゃないと思える時間。人間の根っこは繋がっているんじゃないかしらって思う気づき。

 

鬱症状がひどくなると、その大好きな本は読めなくなる。頭に入ってこないのだ。文字は遊離しどこかに飛んでいってしまう。それが何よりも悲しかった。

 

最近、少しずつ調子が良い時がある。そんな時はぽつりぽつりとだけど本が読める。頭の中で音読ができる。頭の中でマーカーを引くことができる。時代も場所も超えた人と意識を重ねる経験ができること、涙が出るほど嬉しい。

 

私のうちと外、どちらにも繋がる瞬間が読書なのだ。f:id:miumimimi:20221113011919j:image

マニキュアを視界に入れて

鬱症状がひどい時は寝たきりで何もする気がおきない。と言うより、何もする気が起きないという意識もない。あらゆる感覚が鈍麻している。

 

少し体を起こせるようになってくると、爪を齧ったり皮膚をむしるようになってしまう。中途半端に覚醒している自分が気持ち悪いのだろう。完全に覚醒してないと、ストレスに対して無防備な気がしてくるのだ。

 

ただ、自分を傷つける行為が良いとは思っていない。スッキリするけど痛いし、見た目も悪いし。鬱々とした状態だと、目線が下を向く。手元が否応なしに視界に入る。

 

視界から入る苦しさを消すために、マニキュアを塗ることにした。マニキュアを塗った爪では、自傷行為をする気にもなれない。何より、キラキラした色は自分の意識を彩るのに十分だった。

 

ツンとした匂いは心地よいものではないが、目を覚ます作用があると思う。鮮やかな色を爪に塗る行為も、適度な集中力が必要で丁度良い。心身の調子に波があるけれど、少し目線が下を向いた時に爪がキラキラしていると自己肯定感が上がる。

 

どん底の調子の時は、マニキュア塗る行為なんてできないから、心のバロメーターになるのも良いなと思った。

 

爪が伸びてきて、そろそろ塗り直さなきゃいけない。今度は何色にしようかな。寒い季節だから暗い赤にしようかな。パールっぽい明るい色にしようかな。手元から生活を彩る楽しさを知った。f:id:miumimimi:20221101215515j:image