精神科に入院した時のこと

だいぶ前になるが、精神科に入院していたことがある。とある書類を作るにあたって既往歴を書く際に思い出した。あれだけ辛かったことなのに記憶からすっぽり抜け落ちていたことにゾワッとした。

 

物心ついた頃からメランコリー的な気質は自覚していた。20歳、30歳と節目の年に死ねればいいなと思っていた。吉田兼好が40歳くらいで死ぬのが良いって書いていたことになんだか救われた。

 

若い時の両親はヒステリックに喧嘩していて、包丁やガラスが宙を待っていた。テレビに水筒があたって銃弾を受けたような傷になって心の中で笑っちゃったのを覚えている。映画で見たマフィアの世界じゃんって。マフィアの世界に生きているんだから家にいるのが辛いの当たり前じゃんって。テレビを買い替えるまでの一ヶ月、銃弾を受けたような傷を見てほっとしていた。

 

夜中喧嘩して親と外に出たり、親の喧嘩を止めようとして殴られてメガネが壊れちゃったり。大人になった私が当時の私を抱きしめたくなる。

 

メランコリー気質を育てる環境として転校が続いていたこともあるかもしれない。人の顔色を伺わなきゃいけなくて、クラスの中のパワーバランスを見なきゃいけなくて。転校生ってだけで目立つから、成績や運動神経や身長目の色髪の色まで噂された。学校ガチャってある。転校が全て悪いとは思わないけど心のフォローは必要だったのかもと思う。

 

変な大人に付き纏われたり教師にセクハラされたり。いなくなった方がよっぽど楽だと思った。その場では取り繕っていたけれど、1人の時に髪を抜いたり皮膚に爪を立てていた。過剰適応なんて言葉、当時は知らなかった。毎日微熱っぽくて吐きそうでいつも目眩がした。離人感というのだろうか。自分の輪郭と世界がぐちゃぐちゃに溶けていた。ゴッホの叫びの背景みたいな生活だった。

 

希死念慮はずっとあって、何度か実行に移して失敗した。救急外来で「こんなことしちゃだめ」って言われて「はい」と答えたけど、頭の中では「そういうしかないですよね」って諦観していた。

 

希死念慮を実行に移すごとに精度(?)は高まっていった。このくらいあれば実行できるはずという計算があった。そこからしばらく記憶がなくて、精神科の外来の処置室にいたことは覚えている。何をされたかわからないけど「吐いてません」って何度も話したことはおぼえている。2人の先生が同時に「吐いてるよ!」ってつっこんで、息があってるなあと感心したところで記憶が途切れた。

 

つぎにある記憶は病室だった。一応ナースステーションが近くて「見張られてるなあ」と他人事のように思った。最初は点滴されていたけれど、肘の内側に直針刺されているもんだから痛くて仕方なくて無理やりご飯を口に入れた。そして吐いた。ガーグルベースンという桶にご飯を入れて「吐いたけど少しは食べれました」という体裁を保った。患者としては最悪なんだけど、そうするしかなかった。薬を排出するため内服はしなかったけど離脱症状なのか大量に飲んだ影響なのか強い吐き気はしばらく残った。

 

一部素敵な看護師さんもいたけど、意地悪な人が多かったから何も相談できなかった。「吐きそうなのでガーグルベースン持ってきてください」って言っても無視されるような環境だったので相談どころではなかったというのが本音だが。

 

入院中、意識がクリアになるごとに絶望感は強まった。実行できると思っていたから、これからどうしたらいいのかわからなかった。また実行するにしても、院内では難しいとも思った。大人しくいい患者を演じた。にこにこして穏やかで、聞かれたことには「良い」受け答えをした。反面、自分の中ではドス黒いごちゃごちゃしたものが爆発しそうだった。爆発したら拘束されてしまうと思った。意地悪な看護師さんがいる所では、正当な拘束にならないだろうと思った。ただでさえ拘束は人権侵害なのに。

 

記憶はぷつりぷつり途絶えている。「良い」入院患者だったから退院できたのだけど、吐き気はしばらく続いて寝て過ごすことが多かった。記憶が曖昧だから絵画のように切り取られて頭の中に内在している。退院して一週間くらいで仕事に復帰した。長らく体調不良だったと言い訳して。職場ではニコニコしてトイレで吐いてアンバランスな状況に泣き笑いした。そこからまた記憶が溶けている。

 

希死念慮は今も続いている。当時、退院した後も彩度実行しようとは思っていた。ただ、体力が無くてすぐにはできなかった。それだけだ。そしてずるずると今に至る。

 

オチも救いもない話だ。いまの話を主治医とカウンセラー以外で対面でしたことはないし、する気もない。医療職なのに元気そうに見えるのにと、奇異の目で見られるのがわかりきってるのだから。

 

患者体験があるからこそ、拘束に対する医療者の偏見にはより強い負の感情を私は抱く。自分は拘束帯は免れたが病院というハコに囚われていた気持ちはとても強い。患者より強い立場にあるにもかかわらず、オモチャにするような医療者には嫌悪感を抱く。また、当事者かつ医療者という人はたくさんいて、私も気をつけなければいけないことだが、自虐の程度がひどいと当事者を傷つけることは覚えておきたい。当事者かつ医療者は、当たり前だが「医療者」なのだ。自分も辛い体験をしてきたとはいえ、強い立場には変わりがないのだから。f:id:miumimimi:20230327104147j:image